牛と向き合う

「牛が好き」というと、「お肉は食べないの!?」と聞かれることがあります。私はお肉をいただきますが、それとこれとは別でしょ、と、簡単に割り切っているわけではありません。

実際に、農業高校に入って牛を好きになったときには、牛を「可愛い」と言う一方で、お肉を食べるということについて葛藤した時期がありました。だけど母校では毎年秋に収穫祭と慰霊祭を行なっていて、資源動物科(畜産科)が育てた豚と、ハイテク農芸科(園芸科)が育てた野菜を、食品加工科が豚汁にして、皆で慰霊碑に向かって手を合わせ黙祷してから、いただきます。なんとなくですが、お肉も、野菜も、どちらも育てた人にとっては大切なもので「動物だからかわいそう」というのは、どこか違うのかなと思っていました。

それから、” 高校時代の思い出 ” の中でも書いた、肉牛の「なずな丸」との別れを経験したとき、トラックに乗って去って行くなずな丸を眺めながら、断たれてしまう命なら、せめて、たくさんの人に美味しく食べて貰いたい、もしもどこかで余って捨てられるようなことがあるとしたら、自分が全部食べたいとすら思いました。私の中ではそれが何より大きなきっかけで、「食べない」ではなく、美味しく残さず「食べる」ことを大切にしたいと強く思いました。

また、牛には色んな飼い方があり、繋がれて飼われている牛をかわいそうと言う方もいらっしゃるかもしれません。ですが私は、たくさんの農家さんとお話しをさせて頂く中で、皆さん、それぞれの飼育環境の中で、できる範囲で精いっぱい大切に育てられているなのだなと、いつも感じています。写真を撮りに伺うと、とても嬉しそうにご自身の牛たちのチャームポイントや、ほっこりするエピソードなど、「わが子自慢」を聞かせてくださったり、本当に牛がお好きなのが伝わってきます。私も牛が大大大好きですが、農家の皆さんの牛に対する熱さや想い、愛情の深さには到底及ばないと思っています。

以前、大阪で酪農ヘルパーという仕事をしていたとき、仕事で入った繋ぎ牛舎の酪農家さんが「どうしたんやお前、顔色悪いな〜」と、一人で白黒の牛に向かって話しかけているのを見かけました。白と黒しかない牛の顔から微妙な “顔色” の変化を感じとり、心配して話しかけているその姿を目にして、なんだか温かい気持ちになりました。些細なことかもしれませんが、私の中ではすごくすごく大切な思い出です。

経済動物なので、もちろん、愛玩動物のように天寿を全うすることは少ないです。病気になったときなどは、治療ではなく淘汰するという、辛い選択を迫られることもあります。家畜の命を預かり育てることは、決して「好き」という想いだけではできません。私も何度か命の終わりに遭遇し涙を流し、こんなにもつらい想いをして、それでもなお、牛たちの傍にいたいと思えるほどの、強い覚悟と深い愛情がなければ家畜の世話はできないと実感しました。

私は、牛の写真を撮ることは、それが仕事に繋がることもありますが、単純に牛が好きで、農家さんが好きで、皆さんに会いたくて、公私ともに牧場訪問を続けています。

牛が健康でいてくれるからこそ、私は牛に会いに行ける。牛が健康でいてくれるからこそ、牛の可愛い表情が撮れる。「牛が健康でいる」ということは、農家さんをはじめ、家畜たちの命と日々誠実に向き合われている沢山の方々の努力と愛情の賜物だといつも感謝しています。

そしてなにより、家畜たちへの感謝を胸に、これからも美味しくいただきたいと思います。

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